腎臓がんの体験記

…薄れていく記憶を、つなぎ止めるためのメモ

40歳以上は会社負担。ならば一度は受けておくかと、人生初の人間ドックを申し込んだ。土曜日も受診できるので、西新宿の会社近くにある三井ビルクリニックへ。ちょうど道交法改正の時期で、西新宿のビル街は路上のバイクも容赦なく駐禁。停め場所に迷ってうろうろしたことだけ、妙に記憶に残っている。

検査は午前中いっぱい。ところがその日のうちに、超音波で腎臓に4cm程度の瘤(こぶ)があると言われ、造影剤を使うCTで再検査を勧められた。2週間後の予約を取って帰宅。――よくある「念のため」だろう。そう思い込み、気にしないよう努めた。実際、この時点では深刻に考えていなかった。

造影剤を使うので朝から絶食。バリウムの検査と似た感覚で構えていたが、造影剤は違った。体の内側から熱が広がる。子供のころ、親の赤玉パンチや養命酒をこっそり飲んだときの、あの「かぁーっ」とくる感じに近い。

そしてその日の説明は、いちばん中途半端だった。「良性と想定していたものではない。ただ、悪性とも言い切れない」。大学病院で再検査を、と。

どこがよいかと聞かれ国立医療センターが浮かんだが、医師の繋がりがないとのことで東京女子医大を薦められた。家も近く、名前も通っている。従うしかない。その場で2日後の予約まで取ってくれた。CT画像のディスク(お土産付き)を手渡されて帰った。

紹介された教授は、CT画像を見てまず言った。造影剤のタイミングが合っていないので、悪性かどうか判断できない。撮り直しましょう、と。

それでも、4cmの腫瘤は――悪性ならなるべく早く、良性だとしても取っておいた方が無難なケースが多い、という説明だった。念のため、最短の手術日として12月28日を仮押さえしてくれた。

教授は落ち着いた声で、こう続けた。「まだ若いのにねぇ。悪性であれば、いわゆる癌ということになります。でもこのケースでは命は大丈夫。おそらく、たぶん」

癌…かも。」――最悪の可能性が、急に輪郭を持った。頭の中を熱いものが流れ、必死に平静を取り戻そうとした。「嫁になんと言おうか…」。この日は超音波を受け、CTとMRIの予約を入れ、結果を踏まえて12月11日に再診となった。

「また超音波とCTか。お金の無駄だなぁ」とか、「大学病院の超音波って意外と安いな」とか、どうでもいいことばかり考えた。――たぶん、癌じゃない。そう思い込みたかった。

人生2度目のCT。気のせいか、造影剤の勢いが前回より強い。体が一気に熱くなる。「かぁーっ」と来るあの感覚だけは、もう慣れない。

テレビでよく見る、あの狭いトンネルに入っていくやつ。実物はやっぱり狭い。100kg超の会社の先輩は入れないかもな…などと考えていた。腎細胞癌は画像で判断するのが一般的で、万が一癌だと癌細胞を拡散させる可能性があるため、細胞片採取の検査はしない。CTでも判断できるが、念のためのMRIだという。

結果説明の日。教授の言葉は、期待していた方向と180度違った。

「残念ながら画像のチームは99%悪性と言っている。癌だね。手術するしかない」

腎臓を1個まるごと取るか、腫瘍部分だけ取るか。全摘なら腹腔鏡で傷も小さく、2〜3日で退院できる。ただ40歳という年齢を考えると、残りの人生を腎臓1個で生きるのは不安が残る。

部分切除は同一腎での再発リスクが10%程度残るが、他部位への転移の確率は全摘も部分切除もほぼ同じ。とはいえ開腹手術になるため退院まで6〜7日はかかる。この日は説明のみで結論は持ち越し。「医局の会議で諮る」とのことだった。

手術前日までベッドが空かない可能性があるため、事前検査で通院。麻酔医との面談もあった。煙草はやめて2年だと言うと、「本当か?」としつこい。喫煙者は挿管中・後に真っ黒いヤニが出るらしい。酸素運搬能力も落ちるので不利だと。――やめていてよかった、と心底思った。

初めて嫁を連れて診察へ。教授の説明はいつも落ち着いていて、そのだけで気持ちが救われる。

「この症例は150以上切ってきました。命は大丈夫です。4.6cmで見つかってよかった。」その言葉で、必要以上に暗くならずに済んだ。

この日、全摘か部分切除かを問われ、部分切除でお願いした。教授は説明用紙に腎臓の絵を描きながら手術の説明をしてくれたが、最後にさらっとこう言った。「この太い血管をクリップで止めるわけですが、間違って切ってしまうと、1分間に3000ccで即死ということになります」――ほどよく、いや、十分にビビる。

30代のころは多いときで1日3箱。医師に「原因は間違いなく煙草だね!」と言われ、念のため肺転移がないか胸部X線も受けた。この時点での喫煙歴は約7500日、禁煙歴は約750日。

仕事納めは27日だが、2日早く休みに入った。25日は会社帰りに新宿のソフマップで新品未使用の任天堂DSライトを16,200円でGET。あとから思うと在庫1台だったらしく、やけに運がいい。入院中はDSでポケモンをやって過ごせる。

当時は「手術で入院」なんて、人事査定的にはマイナスだろうと勝手に思っていた。だから入院のことは、部長・常務などごく一部にだけ伝えて休みに入った。本当はギリギリ27日まで働くつもりだったが、「命の洗濯なんだから1日余裕を持って休め」と常務の言葉。部長は「予後が大事。術後は無理せず有給いっぱいまで休め」。私は何より「正月明けは何事もなかったように出社できる」という教授の言葉を信じていた。

入院準備で巣鴨の地蔵通りまで遠征し、浴衣やパジャマ、T字帯など一式をそろえた。夜になると不安が濃くなる。「手術中に出血多量で…即死…」そんな想像も勝手に膨らむ。株、貯金、外貨、保険――資産状況をノートに書き、嫁が見つけやすい場所へ置いた。さらに「万が一、葬式になったら…」と、年賀状も夜までかかって仕上げた。

昨日、希望していた8人部屋(差額ベッド代なし)が空いたと連絡があった。小4・小2の子どもたちは12月に入ってインフルエンザに交互にかかっていたため、念のため家で留守番。玄関で「最後の別れ」みたいな形になった。

嫁と二人でタクシー。10時に病院着。受付後、昼は病院レストランで一緒に食べた。病室に戻ると担当看護師が明日の手術を説明してくれる。そのとき、手術後の状態をかわいいに描いてくれた。夕方から担当医、麻酔医、オペ看が入れ替わり挨拶に来る。

硬膜外麻酔(こうまくがいますい)は悩んだ。1000件に1人程度、失敗すると下半身不随と聞かされる。怖い。でも「やる・やらないで全然違う」という麻酔医の言葉を信じ、やることにした。夜は案外落ち着いて眠れた。

この日は2人目の手術で、12時頃からと聞いていた。絶食、下剤、浣腸。これで痩せるかな…などと思っていたら、まさかの11時に呼び出し。前の手術が早く終わったらしい。嫁に連絡するが間に合うか…。

手術室の控室で着替えていると、嫁がギリギリ到着。一度ロビーに出て、短い別れ。必ず戻る――そのつもりで、自分の足で手術室へ入った。テレビドラマほどピカピカでもなく、意外に古めかしい。「よろしくお願いしま〜す!」こちらは不思議と落ち着いていた。

まず硬膜外麻酔。針を入れるために脊椎付近へ局所麻酔。背中を丸める。術着の下は裸。ここまで来たら、恥ずかしさは消えている。

…が、局所麻酔の針が刺さった瞬間、息が止まり、麻酔液が背骨に滲みるように入ると涙が出た。「亀の産卵か…もうやめて帰りたい…」遠くで「もっと強く刺して、針が入ってないよ!」という声がする。

「気分はどうですか?」
「…少し、ぼーっとしてきました」
「それでは全身麻酔に入りますよ」
「はい、お願いしま…」

ここから記憶が途切れる。次に聞こえたのは、6時間後の声だった。「○○さん、ご気分はどうですか?」寒い。ブルブル。軽く咳をした瞬間、腹部に激痛。――ああ、終わったんだ。

「19時40分です。聞こえますか?」
「はい…え? もうそんな時間…」
「病室へ移動します。シーツごと動かします。少し我慢してくださいね。いっせーの…(ドン)」
激痛。

気づけば病室。鼻の管は外れていた。下半身はエアポンプで揉まれている。モーター音がうるさい。8人部屋なのにすまん。左腕は点滴で動かせない。わき腹は痛くて確かめられないがドレン管があるのだろう。背中には硬膜外麻酔。

尿管の管が右太ももに固定されている。右に曲がってしまわないか、妙に心配でテープを少し緩めたが、動いた瞬間に激痛。「だめだ…じっとしていよう」。

深夜0時。痛い。硬膜外麻酔なんて効かない。呼び出しボタンを押す。若い看護師さんが来た。後で知ったがまだ20歳そこそこ。でもこの時は、自分よりずっと年長者のように見えた。「痛いんです」「筋肉注射しますね」。注射も痛い。眠りたいのに眠れない。

2時。回診。「座薬入れますか?」藁にもすがりたい。「お願いします」――これは効いた。痛みが弱くなる。今のうちに眠ろう。

10時に座薬。11時、ベッドの周りを歩けと言われる。座薬が効いてる今のうちに…。……あれ、できるじゃん。……いや、やっぱ無理。10mで限界。

「若いから回復が早いですよ!」20歳そこそこの看護師たちにおだてられる。もしかしてここは楽園か。14時、嫁が花を持って見舞いに来る。花はいらんだろ…。土産はドライシャンプー? いや今それどころじゃない。介護用の体拭きシートは助かる。替えのT字帯と寝巻き。ヨーグルト。そういえば昨日から何も食べてない。

18時、3分粥。ヨーグルトは明日から。痛いからとっとと寝よう…と思ったら、39度。熱いし痛い。深夜2時、痛みで目が覚める。座薬でチラス。硬膜外麻酔、管が切れてんじゃねーの?

座薬と朝の痛み止めがよく効く。11時頃、廊下を2往復。点滴ポールを杖にして、ゆっくりゆっくり。わき腹が痛い。小学生のマラソン後みたいだ。

嫁は朝から顔面神経痛だと言う。念のため東京女子医大の神経科外来へ。無事に手術が終わり、安心して疲れがどっと出たのかもしれない。今日は見舞いはいいとメールしておく。食事は7分粥、夜は全粥。夕方から38度。痛み止めと抗生物質で寝る。

起床から調子がいい。100mを5回くらい歩けた。「若い、若い♥」と看護師たちにおだてられる。東病棟の泌尿器科は年配の患者さんが多いが、深くニット帽をかぶった若い患者も目につく。抗がん剤治療かな…。おいらの腫瘍は何だったのだろう。病理結果は2週間後。

相変わらず歩くとわき腹が痛む。先生に聞いても「わからない」。嫁が見舞いに来た。顔面神経痛は治ってきたようで、本人は唇が少し下がると言うが、こちらは気づかない。土産のハーゲンダッツが嬉しい。粥はもういい。昼にようやくご飯が出たが完食できない。便が出ていない。下が詰まって食欲が出ないのか。

晩飯は…そば。そうか、大晦日か。……のびのびだよ、このそば。うぇ、まずい。嫁にも食わせてみる。笑った。痛ててて、笑うと痛い。病院の投書箱に文句入れといてやる。せめてコンビニの「ざるそば」にしろよ…。37.8度。寝る。深夜2時に目が覚める。座薬が習慣になっている。

午前の回診で尿管を抜いてもらう。これは嬉しい。抜いた後にだらだら漏れないか心配でトイレへ直行したが、そんなことは起きなかった。メデタシメデタシ。次はわき腹のドレン管が邪魔だ。歩くと擦れて痛い。だが今日は抜けない。出血が減ってきたので明日には取れるという。

点滴も外してくれと頼んでみたら、午後の回診で外してくれるらしい。昼飯は大きい海老。お正月っぽい。痛みもだいぶ楽になり、連続500m歩けた。嫁は今日もアイス。……体重、減ってないんじゃないか? 夕方38度。微熱が続く。熱があるので点滴は外せないとのこと。

午前回診でドレン管を外す。絆創膏だけになった。熱も下がったと激しくアピールすると点滴の針も抜いてくれた。QOLが一気に上がる。硬膜外麻酔のボトルも萎み、中身はほとんどない。午後、麻酔医が外しに来た。全部取れた。「何もついていない」って、こんなに楽なのか。

歩く。結構いける。500mを3本。嫁にメール。「夕方、子どもたちを連れてきて病院で夕食を一緒に食べよう!」手術後初めて傷をちゃんと見た。へその横から肋骨近くまで20cmくらい。アロンアルファでぴったり閉じている。医者たちは「きれいですね」と言うが、正直よくわからない。

午後、看護師さんが髪を洗ってくれた。シャンプー台がある。美容院みたいに仰向けで洗われて、気持ちよかった。明日は嫁に頼もう。夕方37.8度。微熱かな。

今日で6日目。明日は仕事始め。今日は退院予定だったんじゃないか? 午前回診で聞くと、微熱の原因がわからないので退院はまだ無理と言われた。念のため4・5日は休みを取った。500m往復を1日4回。わき腹が痛い。看護師に次々追い抜かれる。西新宿の雑踏は無理か…。満員電車も無理だろう。バイクは乗れるかな。

嫁が見舞いに来た。福島の田舎から電話があり、両親と姉夫婦、甥姪まで明日見舞いに来ると言う。無事に腫瘍を取ったとだけ伝えていたが、田舎の総合病院の主治医に聞いたらしく「取るってことは、まあ…そういうこと(癌)だろう」と思っているようだ。

両親が見舞いに来た。父はS4年、母はS12年。78歳と70歳。……怒られた。病気になったこと自体を怒っている。どうにもならんし、知るかっちゅーの。最後は「金はいくらかかっても治してやる」。いや、もう手術終わってるってば。元気な姿を見て安心して帰っていった。

今日も家族でラウンジで夕飯。仕事始めの帰り、部長が見舞いに来てくれた。あらら、こんなはずでは…。夕方37.5度。微熱かな。深夜2時に目が覚める習慣がついた。眠りが浅い。ノンレム睡眠にならず、ターザン読んで練った「アミノ酸で傷を早く癒すMY計画」も台無しだ。

水分は1日3.5リットル摂れるようになった。尿も軽量カップで測り、トイレのノートに記録。尿は3.2リットル。差は汗か…。目が冴えてしまい、4時ごろ睡眠薬をもらって寝た。

いよいよ明日、退院…のはず。売店で飲み物を補給(3リットル分)。からだ情報館へ行き、「腎癌のすべて」をメモに移す。いつものウォーキング練習。前を行く看護師を追い抜こうとしてみるが、500mでわき腹が痛い。階段の上り下りもメニューに加えた。9日から仕事に行けるかな…正直、微妙だ。営業だからなぁ。地下鉄に乗れる状況じゃない。

夕方、瞬間最大38.1度。むぅ…これを微熱と言うのか?

退院のはずだった。朝、トイレの鏡の前で松田優作ばりに「何じゃこりゃ!」暗い色のパジャマなのに、傷口のあたりだけがどす黒く濡れている

血…? いや、トマトジュース色の膿だった。どこから? ベッドに横になると医者が傷を開いていく。やめて。本能的に「開かれたくない」と思った。へその横を3cmほど開かれ、合併症の創部感染だと告げられた。膿は病理検査へ。

退院は? 助手の医師が言う。「もう少し先ですね。」

どのくらい?「まあ、一週間とか、二週間とか…そんな感じですかね」――これはガツンときた。部長にメールを打つ。日曜なのに即レス。「有給が20日くらいあるから、ゆっくり休んだほうがいい」。脱力した。開き直った。

傷は開いてる → 膿は出てる → ワイシャツは着れない → 営業できない。なら、治るまで休むしかない。再縫合は? 感染しているからまた開く可能性が高いらしい。待てば閉じる。ただし時間はかかる。……まあ、有給がある。夕方、37.9度。

ひまだぁ。治療は一日一回、ガーゼ交換だけ。後で知ったが包括評価の医療費は1日5千円。たかっ。体温Max36.8度。微熱の原因は感染だった。菌は表皮ブドウ球菌。皮膚に普通にいるやつ。風邪の抗生物質を摂り続けていたせいで、抗菌力が弱かったらしい。100例で1〜2例とか…。呪われている。

そうか、今年は本厄だ。退院したら御祓いに行かなきゃ。

朝っぱら会社に電話。出社を期待していた常務に挨拶。まあ、「治るまでゆっくり休んで来い」と言うしかないよな…。あとは一日、DSでポケモン三昧。熱37.3度。見舞い3人。

散歩、日向ぼっこ、読書、DS。熱37.1度。見舞い4人。

教授の回診。正月休み明けの回診で、会う予定ではなかった患者――つまり俺。助手の説明で「常在菌による手術部位感染」と告げられた。教授が「再縫合は?」と聞くと、助手たちは「不要」と答えた。

教授は言った。「とにかく腎臓の腫瘍のほうは、きれいに取れているから大丈夫ですよ。」――やっぱり教授の言葉は、いちばん刺さるところに届く。

嫁に話すと、手術の終わり頃、教授が取れた腫瘍を見せに来たという。嫁の見たそれは白っぽかったらしい。スーパーの白モツかいっ。

初の「外泊許可」。嫁が朝早くタクシーで迎えに来た。なんという過保護。なんという無駄遣い。だがタクシーの振動すら、開いた傷に響く。擦れて痛い。裂けそうだ。エンジンの振動が傷口に悪い気がしてならない。

10時に病院へ戻る。傷口を生理食塩水で洗われる。ガーゼでごしごしされるのがつらい。医者は「シャワーでよく洗って」と簡単に言うが…いや、自分じゃ無理だろう…。

シャワーで洗ってみた。水圧をかけるので精一杯。痛くはない。腹の中は神経がないらしい。37.3度。洗い足りんのか…。

熱36.8度。お見舞い3人。

外出して新宿通りのさくらや(2月閉店)へ。ドラクエモンスターズジョーカーを発見。他店は売り切れなのに…寂れた店は一味違う。お見舞い3人。

雨。さっそくDQM三昧。

シャワーで傷を洗うのに慣れてきた。この頃から退院の話が出る。担当医がしきりに「シャワーで洗える?」と確認してくる。

本日のお見舞い3名。体温Max36.4度。歩いて馬場下の、大学時代に通った喫茶店まで遠征。

朝飯を食べてから自宅へ外泊。タクシーもだいぶ楽になった。

傷はぱっくり開いたまま。それでも24日に退院予定となった。

病理結果が出た。3.8cm×4.0cm(T1a。ただし切り取った細胞は縮むので、画像での4.6cmと思ったほうがいいらしい)。淡明細胞癌でG1<G2。リンパ節転移はなく、きれいに切除されている

「やっぱり癌か…」というショックはある。だが、この病院の10年生存率は優秀だと言い聞かせる。とにかく今は「取れた」「治った」に近いところまで来た。その喜びを噛み締める。

明日午後退院…のつもりで医師と話していたが、看護師の間では午前にすり替わっている。この手の「段取り」へのクレームはたぶん意味がない。とにかく午前にベッドを空けて、ラウンジで待機しろという。

終わり方が悪いと、全部悪く思える。こういういやらしさには憤る。外来なら一日210円の治療が、包括評価で一日5000円。いい客じゃないか…と毒づきたくもなる。風邪薬の抗生物質だって同じ病院の処方で、それが原因で感染リスクが上がったのなら…と考えもする。

まあでも、本当に手術待ちで困っている患者がいるのも事実だろう。明日の朝、退院することにする。

退院。妻が菓子折りを買ってきた。担当医が通りかかったので「渡してみろ」とけしかけたら、医師はこころよく受け取ってくれた。ともあれ、お世話になりました。

傷のケアのため、しばらく週2で通院することになった。結局、会社は今月いっぱい休みを取った。(泌尿器科か形成外科か…創部感染症編に続く

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